バーチャル・リアリティ(英: virtual reality)とは、現物・実物(オリジナル)ではないが機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの五感を含む感覚を刺激することにより理工学的に作り出す技術およびその体系。
──バーチャルリアリティ - Wikipediaより引用
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ARとVR
同じゼミの学生がAR(Augmented Reality:拡張現実)の応用に興味があるらしい.本当に何でもありのゼミだなと思いつつ,彼女の発表を聞いていた.
VRとAR一見似ているように見えるけど,概念としては意外にも違う部分が多い.だが,どちらを議論するにせよ「現実」というものを考える必要があるという点では共通している.
ARはまさに,現実が「拡張」されるというか,現実に(狭義ではコンピュータによって生成された)何かが「付加」される.あくまでベースは「現実」にあって,だからARとは現実であると言える.
VRは「仮想」現実であって,ベースにあるのは「現実」ではなく,VRとは現実ではない「仮想世界」である.
別に定義論争をしようとしているつもりはない.ただ,こうしてARと対比しながらVRという概念を眺めてみると「あの頃、僕らは仮想現実に生きていた。」と言えると思うのだ.
僕らのいた世界
2008年初頭から2012年初頭にかけて,そして2013年,合計5年近くメイプルストーリーなるゲームに費やしていた.
自分が触れた唯一のMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game).「大規模」で「多人数」が参加するから,そこには一つの社会ができていた.だからこそマナーの問題があり,経済の問題があり,人間関係があって,そして人格があった.
振り返ってみると本当にそう思う.メイプルストーリーには社会があった.現実社会と同じではないけど,“機能としての本質は同じであるような環境”だったと思わないか?そう考えるなら,メイプルストーリーはVRゲームだったんじゃないかと2018年になった今,そう思うのだ.
MMORPGの健全性
振り返ってみれば,かつてオンラインゲームの危険性として言われていたのはそういうところにあるのだと思う.社会であるから,仮想現実であるからこその誘引力.それに没頭するプレイヤー.場合によっては「現実」と「仮想現実」のバランスが崩れてしまう危険性.そういうところにMMORPGの危うさが指摘されていたのではないか.
だが,MMORPGが廃れ,どいつもこいつも電車の中でパズルゲーをやっている光景を見ながら思うのだ.仮想現実を生み出せるだけ,MMORPGのほうがよっぽど健全だったんじゃないか?と.
私はパズルゲーをやらないし,やったことがない.だから理解が間違っていたらそれはごめんなさいしなければいけないのだが,どうもスマホのパズルゲーには「仮想現実」を見いだせる気がしないのである.そこに他のプレイヤーとの深いインタラクションはあるか?少しくらいはあるかもしれない,だけどMMORPGと比べると無いのと同じようなものではないか,と勝手に思っている.
そんな「一人に閉じた世界」に没頭するくらいなら,「社会」のあるMMORPGに没頭するほうがよっぽど健全で,そして有意義なんじゃないか?
ゲームに夢中の子供を見て親はこう思ったかもしれない.「学校の友だちと遊びもしないでゲームに夢中になって……」と.そう心配したかもしれない.スマホゲーへの没頭ならひょっとするとそうかもしれない.ただ,ことMMORPGに関してはそれは杞憂だったんじゃなかろうか.そこには別の社会があって,その社会における友達がいるんだから.
現にメイプルストーリーで遊ぶことによって「社会問題」を考える機会もあったし,勉強する機会もあったし,メイプルストーリーで遊んだからこその出会いがあって,人間関係があった.それを当時の親たちは「ゲーム」の一言で片付けたかもしれないけど,今なら言える.「あれは“現実”だった」と.
あの頃、僕らは仮想現実に生きていた。
まあ何が言いたいかと言うと,VRというとゴーグルをかけて大興奮する滑稽な姿というイメージが強いかもしれないけど,ゴーグルなんてなくても広義の仮想現実はとっくの昔に実現してたんじゃないか,と.勿論狭義だと技術による五感の再現とか,そういう要件があるから当てはまらないのだけれども,どうもあの頃僕らはメイプルストーリーをただの「仮想世界」ではなく,もう一つの「現実」として捉えていたんじゃないかと,今振り返ったらそう思うというお話.
当時の私はそれを多分わかっていなかった.「ゲームで遊んでいる」と思っていた.ただ,今振り返ると「あの頃、僕らは仮想現実に生きていた。」と思う.だからゼミでの議論でMMORPGの例が出た時,私は自然と「I lived in the game.」と言えた.というか,それが自然に口から出たことで「あれは仮想現実だったんだ」ということに気づいたというのが正確か.
気をつけなくてはいけないのは,ゲームそれ自体があればそこに仮想現実があるわけではなく,そこに「住む」人がいてこそ仮想現実として成立しうるということ.更に言うと,自分の周りにそういう人がいて,人間関係のネットワークがあってはじめて,ということになろうか.だから今メイプルストーリーを起動したとして,そこに「現実」があるかというと,必ずしもそうではない.
もっというと,メイプルストーリーでの人間関係はほとんどTwitterに引き継がれている.ではTwitter空間を仮想現実と言えるかというとそうではない気がする.そこに人間関係があって,会話があるけど「社会」がない.
いつか誰かが「SNSの発達でメイプルにINしなくて良くなった」と言ったような気がする.確かに一理あるが,逆に考えればメイプルストーリーは社会機能を持ったとんでもない高機能なチャットツールだったとさえ言える.
あの頃そこまで意識できていたかというと,他の人は知らないが少なくとも私は意識していなかった.それを失った今,僕らはリッチな社会からただのチャット世界に落ちてきてしまったのだなあと思ってしまうのだ.
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