2017/01/31

京浜急行電鉄に物申す

さて,車掌置き去り事件をやらかした赤いあの鉄道会社がまたやらかしてくれた.

京浜急行電鉄は1月30日、同社の運転士が乗務中に居眠りをしていたと発表した。
京浜急行、居眠り運転で謝罪 「全乗務員への指導を徹底」(ITmediaNEWSより引用・2017年1月31日アクセス)

運転士も人間なので,眠くなることもあれば最悪突然意識を失うような可能性もある.
そういう場合に備えて,赤信号を通過すると自動でブレーキが掛かる仕組みがあったりするわけで,実は運転士が居眠りしたから凄まじく危険かというとそういうわけでもなかったりする.

問題は,この件に関する京浜急行電鉄の対応.
この件を取り上げた記事をいくつか読んでみるとラッシュアワーの乗客の如くツッコミどころが満載である.

運転士は「昼食の後で眠くなった」と説明したという。同社は「研修を徹底し再発防止に努める」としている。
京急運転士、快特運転中に居眠り…「昼食後で」(YOMIURI ONLINEより引用・2017円1月31日アクセス)

昼食後に眠くなるという生理現象をどうにかできる研修があるのか.
すげえなこの会社.

運転士は、前日は休日だった。乗務歴は5年10カ月で、これまでの勤務態度や健康状態に問題はなく、原因について「陽気のせいではないかと思う」と説明したという。
京浜急行で居眠り運転 横浜―蒲田間、客から通報(朝日新聞デジタルより引用・2017年1月31日アクセス)

この記事によると,前日も休みだったし,健康状態にも問題はなさそうだし,単に春の日差しに誘われた,という感じらしいのだが

同社は「出勤時の健康確認を徹底する」としている。
京急運転士が居眠り運転 横浜-蒲田間(産経ニュースより引用・2017年1月31日アクセス)

春の日差しによって生じる眠気を出勤時の健康確認でどうにかできるんだって!すごいね!!!!

事象の因果もまともに考えることができていない.小学生でももう少しまともな発言するんじゃない?
昼食後に昼寝休憩の時間を少し作るとか,慢性的な疲労が溜まる勤務体系になってないかとか,今トラックとかで話題になってる眠気を感知する装置を導入するとか,色々対策はあると思うんですけど.
とりあえず「研修します!」「健康状態確認します!」って上辺だけ取り繕うとか,アホくさ.やめたら?その仕事.

2017/01/25

キットレンズでも「星景写真」撮れるんだってさ

……ということである.

ふとした拍子に記事タイトルの通り,キットレンズでも普通に星景写真を撮れる!ということを聞きつけて,くっそ寒い冬の夜に近くの公園に出かけてみた.

公園に出かけたのは,以前帰りが遅くなった時に通りかかったらかなり暗かった記憶があるからである.

三脚がないのでゴリラポッドを携え公園に行ってみると,意外と明るい.
今まで気にしていなかったのだが,街灯が数は多くないものの結構な光を放っている.そしてこの日は月もまあまあ明るかったのが大きい.

とりあえずシャッター速度を限界まで長くして一枚パシャリ.
うーん微妙.

設定を色々勉強したほうがいいのと,あとは新月の日を選んで,できれば街灯がもっと少ない場所を探して再度挑戦したほうがいいなあ,と思いつつ.まだパチャリ.
すると……?

ちょうど飛行機が2機上空を飛んでいき,さながら流星のように写り込んだ.
これはこれで面白い.

月の写真は結構な望遠レンズがないと撮れないようだが,星景はキットレンズでもそれなりに撮れそうだという手応えを得ることができた.
あとは設定(多分ISO周り)をいじって,月の出ない天気の良い日に再チャレンジしてみたい.

あとこうしてみると,このレンズ周辺光量ひどいな……

2017/01/23

α6000+SELP1650(キットレンズ)を携え飛行機を見に行ってみた.

【17/01/16】

α6000を購入してから,羽田空港第2ターミナルの展望デッキに二度訪れたことがある.

その時の感想は,「飛行機撮るなら望遠レンズないと厳しいなあ」というものなのだが,ふと飛行機を至近距離から撮れるポイントがあれば,キットレンズでも撮れるんじゃね!?と思い立った.

近場で飛行機が飛んでるのを近くで見ることのできるポイントはないかなあ,と少し探してみた.
近場の空港と言えばやはり羽田.ちょうどFSXで遊び始めたこともあり,離陸経路や着陸経路を勉強したのでそれをもとに探してみる.

海側のD滑走路は論外.A/B/C滑走路を使う離着陸経路を思い起こしながら地図上を見てみるとちょうどいい公園を見つけた.

城南島海浜公園.

調べてみるとRWY34Rの離陸,RWY22の着陸シーンを撮影できる場所として有名らしい.
ということでふと暇だなあと思った冬の日の午後に行ってみることにした.

……んでんでんで,久しぶりに京浜東北線に乗って(約1年ぶりになるんじゃないか)大森駅へ.
ここからバスに乗っていけるらしいのだが,案内板を見ると次のバスは50分後.

うーん,歩くか!

……とトチ狂って歩き出してみたはいいが,6kmもあるゾこの道のり……と気づいたときには手遅れ.

徒歩の奴など他に1人もいない物流の要衝をひたすら歩き続ける.
ちなみに,距離は少し長くなりますが大田市場側を回り込んだほうが歩きやすいと思いました.
環七を最後まで行くルートだと最後の交差点に信号がなく渡りにくいです.参考にしてください.……まあ,歩くやつなんていないと思うが.

結局到着したのは大森でコーヒーでも飲みながらバスを待っても大して変わらないような時間.
ちょっと,ちょっとだけ歩いたほうが早かったから!!!

一番海側に出てみると,早速飛行機が飛んでいるのが見えた.
北風のこの日はRWY34Rの離陸便を見ることができた.

使用したレンズは最近ハマっているSIGMA30mmではなくキットレンズのSELP1650.
いくら至近距離を飛ぶからと言っても少しでも望遠できたほうがいいのは確かだし,何と言っても純正レンズはAF-Cモードにすると移動物体へのフォーカスが強い.
適当に半押しするだけでピントがしっかりと合ってくれるあたりはさすがである.

RWY22の着陸誘導灯もすぐ近くに.
南風の季節になったときはここで大迫力の着陸シーンを見ることができるのだろう.

……また,夏にも来たいな.
いや,夏は暑いから春か秋だな……


帰りはバスに乗ろうとバス停の方へ歩いていくと,防波堤(?)近くの岩場に猫が数匹.

“3匹衆”の一番右の猫は人間に興味が無いのかしれっと岩の隙間へ消えていった.
真ん中の猫はこちらに興味を示しつつも警戒中.左の猫はこちらに興味を示し,かつ全く警戒もせず.

ということで近寄って一枚.
こんな人工島が野良猫にとって暮らしやすい環境でもないだろうし,公園の訪問者が餌でもやっているのだろう……


バスに乗り帰ろう……と思ったのだが,夕焼けがいい感じに綺麗だったので,羽田の展望デッキに行ってみることにした.
バスで流通センターへ,モノレールに乗り換えて羽田へ.今回は久しく行っていない第1ターミナルの展望デッキに行ってみることにした.

こいつはすげえ.
羽田から富士山がこんなに綺麗に見えるとは……

日本の象徴のひとつ,富士山と日本のナショナルフラッグたるJAL機を絡めた写真を撮れるスポットだなあ,と思いながら行き交う飛行機を眺める.
薄暗くなってきたので流し撮りにも挑戦.



フェンスのワイヤーの間に合わせてレンズを動かすことを強いられ,なかなかうまくいかないが,それでもさすが純正AFというべきか,なんとかそれっぽい写真を撮ることができた.
ここで流し撮りするならもう少し望遠寄りのレンズが欲しいかな……

……さて帰るか,と思ったが,この時間に羽田にいるということはめったに無いので,せっかくだし日が落ちてからの写真を撮ってみようと思い立つ.
いい加減身体も冷えてきたので,南ウィング側の端の3階にある吉野家で牛すき鍋膳を注文し腹ごしらえ.
腹が膨れたら再び展望デッキへ.

おお.
誘導の青いランプが綺麗だ.

第2ターミナル側を30秒で撮影してみたり.
今回はゴリラポッドを使ったが,ちゃんと撮るなら高さの調整もできる三脚が必要なのかなあと思った.

日が落ちて急激に寒くなってきたので早々に撤収.
帰りは最近お気に入りのYCAT行きのリムジンバスで.
また春になったら来てみたい.

2017/01/19

α6000 + SIGMA 30mm F2.8 DNで撮ってみた(総括)

さて,SIGMA 30mm F2.8 DNを購入してから,α6000に装着して何度か外に持ち出した時のことで4記事書いた.
α6000 + SIGMA 30mm F2.8 DNで撮ってみた(三渓園編)
同(国道編)
同(流鉄編)
同(紅葉編)

これらの記事は撮った時の様子やその写真の紹介で終わってしまったので,この記事では総括としてこのレンズの良かったところ惜しいところをまとめてみたいと思う.

良かったところ

バカバカしい話ではあるが,最初に良かったと思うのは交換レンズを買ったことそれ自体.
キットレンズを外して,装着.まずこれでニヤニヤ.
外に出て一枚パシャリ.「ああ,今交換したレンズで撮ってるんだ」,これでニヤニヤ.
本当にアホみたいだが,これが本当のファースト・インプレッションである.
高級コンデジという選択肢を蹴ってミラーレス一眼を選んだわけで,その大きな特徴の一つを体験できたということ自体がうれしかった.
そういう意味では,交換用レンズとしては非常に安価なものなので,このレンズは以上におすすめである.

しかしだからといって,このレンズは「安かろう悪かろう」ではなかった.
撮った写真を見てみれば,水滴の表現やボケ,そして冬の晴れた午後の優しい空気感まで,キットレンズではこうはできなかったろうな,という形で表現してくれる.
帰宅して写真を取り込んでなお,ああこのレンズを買ってよかったな,と思えるレンズなのである.

惜しいところ

惜しいなあと思うのは,フォーカス絡みのあれこれ.
まず,レンズ自体がどうこうというわけではなく撮影者(私)の腕の問題なのだが,F値がキットレンズよりも小さくなったことで,より綺麗なボケを出すことができるようになった.
その反面,ピント合わせがかなりシビアになった感がある.撮影時にDMFで念入りにピントを合わせたつもりでも,取り込んで大きな画面で見ると「ん,なんか思ったのとちょっと違うな」というなことが結構あった.
一般にF値が小さいレンズが持て囃されるが,明るいレンズは明るいレンズで使いこなすための腕が必要にもなるのだなあということを知った.
まあこれは,惜しいというよりは逆に楽しめるところでもあると思う.

レンズに関して言えば,純正レンズと比べるとオートフォーカスの性能はやや低いと言わざるをえない.
実際のところいくつかあるAFモードを使いこなせてすらいないのだが,少し使ってみた感じだと,純正レンズだと画面中の動いているものにフォーカスが食いつくモードがこのレンズでは中央のみにしかフォーカスしないようである.
まあ,フォーカス周りはソニーのテクノロジーが詰まってる!わけで,サード製レンズに全く同等の性能を求めるのも酷だが(そもそも値段がかなり違うし),AFが純正レンズと全く同じようには動かないということは念頭に置いておいたほうが良いと思った.

総評

総合的なことを言えば,大満足である.
AFの弱みに関して言えば,そもそも動きモノを撮るような用途にこれを使わなければいい話(キットレンズがあるし)で,スナップではなんの不都合もなく使えると思う.
明るいレンズならではのピントのシビアさも,カメラの楽しみとして受け入れればむしろ楽しくなる.
そして何より,レンズ交換の楽しさ,撮った写真をぱっと見た時の感動は素晴らしい.
これを1万数千円で味わうことができるのだから安いものだと思う.

こうしてレンズ沼に嵌ってくんだねー……

2017/01/16

Re:α6000ユーザー的カメラバッグ選び

以前,旅行にいく時にリュックの中に小さいカメラバッグを入れて持ち運ぶことを企んでバッグ選びをしたが,結局あの記事で紹介したルフトデザインのカバンを買ってみた.

……が,α6000を入れるにはやや窮屈であることが判明.
これだからカバン選びは難しいんだ……

慎重にサイズを検討しなおした結果,よさ気だったETSUMIのE-3469 [ムーブ4WAY S ブラック]を買ってみたところ,これは良かった.
α6000にSIGMA 30m F2.8 DNをつけて,ついでにキットレンズも収納できて,かつ一般的なリュックにバッグごと入れることができる,ということで自分の使い方では一番これが良い感じである.

カバン選びというのはなかなか難しく,今まで一発で完璧なカバンを買ったためしがない.
サイズは一応掲載されているが,実際に使ってみると思ったようなモノの入り方をしなかったりと,なかなかうまくいかない.
今回もかなり遠回りはしたが,最終的には良いバッグが見つかってよかった.
α6000ユーザーはぜひ私を人柱にして,ETSUMIのバッグを試してもらいたい.

2017/01/13

失われた十云年を越えて

【2016/12/某日-2017/01/某日】

YCAT→羽田空港バス車内より.左奥に政府専用機が見える.

およそ2年ぶりにに北海道の実家に帰省してきた.

一般的な感覚からすると,帰省の間隔がやや長いというのは,そうかもしれない.

とある駅にて.

私は北海道があまり好きではなかった.
幼少期に北海道に引っ越し,関東の祖父母の家に遊びに来るたびに「関東に住んでいたかった」と思った.
幼少期からの十云年は,北海道で“失われた”とすら思っていた.本当なら都会のコンクリートジャングルで暮らせたかもしれない未来は失われた.だから,北海道があまり好きではなかった.

今回の帰省も,当初から予定されていたものではなく,実家の飼い犬が長くなさそうということで,11月になってから急遽帰ることにした.
犬がいなければ帰っていたかすら怪しい,というか多分帰ってない.

雪が積もった白い“青い池”.

結局,実家の犬は私が帰省する数日前に逝った.
なんとか火葬に送るのには間に合ったが,夏に帰っておけばよかったとか,そういう後悔は尽きない.

2年ぶりに実家に帰ると,父も2年分老い,母もまた老いた.
未だに自分が18や20の頃で時間が止まったような錯覚があるのに,時間は確実に進んでいる.

冬にする花火.

考えてみれば,2年に一度ペースの帰省では,両親の顔を見ることができるのは,ひょっとすると両手で数えられるくらいに収まってしまう可能性もあるのだなあと,犬が逝って初めて実感した.
2年前帰省したとき,次に帰省したときも当然に会えると思っていた犬はいなかった.それが次の帰省のとき,どの相手に起こるかはわからない.

冷え込んだ朝には雪が光る.

北海道を離れて4年が経った今帰省して,多少考え方も変わった.
北海道に引っ越したことで生まれた関東に戻りたいという気持ちがあったから,あれだけ受験勉強に打ち込むことができたのかもしれない.
そう考えればあの“失われた十云年”もまた,意味のあるものであったと言うことができるのではないか.
4年経った今,かつて持ったある種の憎悪は,自分の中で消化できたのではないかと思う.

だからせめて,自由な時間が取れる学生のうちは特に,もう少し頻繁に実家に帰ろうかなあと思うにまで至った.
そう思うようになったのも,結局のところ実家の犬がくれた帰省のきっかけがあったからで,そしてその死があったからである.

残された犬小屋に積もる粉雪

さんざん悪さをするおバカな犬だとばかり思っていたのだが,最後の最後に大事なことを教わったように思う.
せめて彼がその一生を楽しみ,安らかに眠っていることを祈るばかりである.

2017/01/09

終わらないベビーカー論争の根っこにあるもの

 2017年の年開け早々、ネット上で大論争に発展したのが、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて大勢が集まる場所で初詣に参拝することの是非についてだ。それが障害者差別、少子化問題といったことにまで議論が広がっていった。
──「初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分」より引用(アクセス日:2017/01/09)

新年早々,乗蓮寺がベビーカーでの初詣の自粛要請を出したということで(主にネット上で)大騒ぎになった.

この要請に対し,恒例の”ベビーカー論争”が始まり,障害者差別の問題や,少子化の問題にまで飛び火して批判が展開された.

それに対し,「混雑しているところにベビーカーで入るのは周りの人にとっても赤ちゃんにとっても危ないだろう」といった反論もなされた.

この一連の議論は正直これまで行われてきた,例えば列車内でベビーカーを広げることへの賛否をなぞっているため,特に目新しいことではなかった.
今回の議論で面白いのは,そもそも寺側がベビーカー自粛を要請したきっかけが,どちらの立場にとっても予想外のものであったことだろう.

「初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分」によると,そもそもこのお寺はかつて,むしろベビーカーを優遇してすらいたという.
ベビーカーを優先してスロープのある通路から先に通すなどの配慮をしていた.

ところが,なんとそれに乗じて「ベビーカーさえあれば早く境内に入れる」と解釈した人たちが出現し,ベビーカーにゾロゾロと大人が大量に随行してみたり,もうベビーカーという歳ではない子供をベビーカーに載せるといった行動に出た.

そしてついに,ベビーカーに躓き転ぶ人が出るという事件が発生し,寺側はついにベビーカー使用の自粛要請に踏み切ったという.

騒動の当初,この展開を知っていた人は多くはないのではないかと思う.
隠されし真相が明らかになる前に寺を批判していた人の多くも含め(一部だんまりの奴もいるが……),この経緯が明らかになった今「ベビーカー利用者と周りの人達の双方がお互いに気をつかうべきだ」というのが大方の論調になったと思う.

……が,この手の議論は何度も繰り返されてきたわけで,「お互いに気を使うべき」などというお利口さんコメントで無難に〆たところで,半年もすれば似たような事件が起きて,似たような議論を繰り返すのがオチだろう.この問題自体は全く解決には進まない.

私自身もこの問題が直ぐに解決するとは思っていないが,今回の一連の騒動をきっかけとして,ベビーカー論争の根底にある原因を考えてみたいと思う.

これを考えようと思ったきっかけは,そもそもベビーカー論争が急に盛り上がり始めたのはここ数年のように思うのだが,それは何故か,ということである.
従って,まずは「ベビーカー論争」が発生しはじめた要因として,いくつかの仮説を掲げてみることにする.

権利意識の高まり

ここ数年,LGBTや移民といった問題がクローズアップされ,世界中でその権利が注目された.

「ベビーカー賛成派」の主張の一部は,こうした潮流の先にあって,「産後の移動の自由を保障せよ,そのためにはベビーカーが必要不可欠である」という論理に基づいている.

こうした考え方は,電車の中という環境下では,国によってある種のお墨付きを得た.
国土交通省は,電車の中では原則的にはベビーカーを広げたままで良いとする判断をした.

しかし,この権利意識だけでは「論争」は生まれない.例えば世間がそれを何の批判もなく受け入れたとするならば,そこに論争は生まれず,ベビーカーが当然に広げられる世界が実現するだけである.

その権利意識の先に「論争」が生まれたのは,その権利主張に対する反発があったからである.
では,その反発は何故生まれたのか?

「ベビーカー賛成派」の多くや,他の人権問題と絡めてこの問題を捉える人たちは,その根底にあるものを「不寛容」だと考えている.
現実的に,「こうあるべき」という綺麗事を取り除いて考えるなら,ベビーカーは物理的に邪魔である.ベビーカーに限らずとも,例えば公共の場での子供の騒ぎ声は物理的にうるさい.
しかし,それを許容できない世の中に問題がある,そういう論調である.

たいてい議論はここで止まっているように思うが,そもそもその「不寛容」は何故生まれたのだろうか.
これまで言われてきたそれは,例えば経済的な点などで「余裕」がなくなった人が増えたからといった理由であるが,私はそれだけに留まらないと思っている.

私はむしろその「権利意識」の使われ方に問題があるのだと思う.
誤解のないように強調するが,ベビーカーの問題を含め,乳幼児連れの「権利」は一定保証されるべきというのは正しいと思う.大いに結構である.

問題なのは,その権利行使がやや行き過ぎと捉えられるレベルにまで至ったことだと思う.

例えば上述の電車の例.
駅員バイトをやっているとしばしば見かける光景なのだが,朝の通勤時間帯のかなり混雑した列車に,ベビーカーを広げたまま無理矢理乗って行く親がいる.
これは正直に言うとかなり危ないと思ってみているのだが,上述のように国のお墨付きが出てしまった以上,「それをたため」とは言えない.それが,彼ら,彼女らの主張する権利であり,国が“認めた”権利だからである.

しかしそのベビーカーの回りにいる人は堪ったものではないだろう.
ただでさえ混雑して疲弊している中,ベビーカー(それも必要以上にデカイやつだったりする)が突っ込んできて,ぶつからないように気をつけなければならない.
それを強いられた人がベビーカーに対するヘイトを溜めるのも自然なことだと言える.
それは断じて彼らの「不寛容」なのではなく,当然に寛容できて,寛容すべきラインを超えてしまったからこその現象なのではないか.

かくして「論争」は生み出されるのではないか.
「権利意識」とその主張の先の,行き過ぎた権利主張によって作り出された“不寛容”が対立を生んでいる,私にはそう思えてならない.

行き過ぎた権利主張が先か,子連れに対する風当たりの強さが先か,どちらが先かは今となってはわからない.
それでもこの2つが悪循環となって,この論争は泥沼化の一途を辿っているように私には思えるのである.

東京一極集中

今回の騒動の発端は初詣だった.初詣は,まあ信心深さにもよるのだろうが,多くの人にとっては「どうしてもしなければならないこと」ではない.
だからこそ「そもそもそんな混雑のところに子供を連れて行くな」という意見も一理ある.

ところが,どうしても混雑している場に乳幼児を連れていかなければならないという状況も現実的にはあり得る.
自宅から都心へ,朝のうちに子供を連れていかなければならないとなると,混雑した列車を使うことは不可避であることが多い.

この状況の問題を環境側に置くのであれば,ひとつ目の考え方としては混雑した列車が悪いということになる.
特に大荷物でなくとも朝の通勤ラッシュは,まさに「痛勤」である.況や子連れをや.

となれば,この状況がベビーカー論争の要因の一つになっているとも考えることができて,その解決が必要である,ということになる.
ではどうするか.

結論から言うと,今のふざけ散らかした首都圏の通勤事情を改善することは,少なくとも鉄道側の施策で改善することはまず無理である.
現在の環境を所与のものとするならば,輸送力の増強なしに通勤事情の改善はありえないが,現状で線路容量は逼迫し,これ以上の大増発はほぼ不可能である.
首都東京は「2階建て列車」を提唱した首長を選んだ.他にも複々線化工事という手法もある.どちらも物理的に不可能というわけではないが,主に金銭的な理由から現実的には不可能である.

従って,上で所与とした条件自体の改善が求められることになる.
つまり,首都圏の人口,多すぎ.

振り返ってみれば,昔は地方で生まれた子供が地方で育ち,そして大都市圏に流入するというのが“典型的な”人生のひとつであった.この場合,子は地方で育てられていた.

しかし,大都市圏に流入した多くの大人は都市に残ることを選び,大都市圏の中で子育てが行われていく.
地方が人口減少に喘ぐ中,地方からの流入と大都市圏での再生産によって,特に首都圏の人口はじわりじわりと増え続けた.そして限界線を超えたのが現状なのではないか.

直近の課題として捉えるならば,人口の地方への分散が必要になる.
これは個人的には不可能であると思う.私自身,幼少期から十数年地方で暮らし,首都圏へ流れ戻った「流入組」の一人であるが,まあどう頑張っても地方が活性化するビジョンは見えない.
地方には絶望的なまでに仕事が無いから.

長期的なことを言うなら,これは自然に解消される問題と言えなくもない.
人口減少が進む今,そのうち都市圏の人口も減り始めるだろう.
それはそれで新たな問題とも言えるのだが,ある意味通勤環境の改善という問題は解決できるだろう.
いやそもそも,少子化が究極に進むと,子供がほとんどいなくなってこの問題が発生し得ないということもあり得るか.

“連れていかなければならない”

上で「朝のうちに子供を都心方面へ連れていかなければならないなら」と言ったが,そういう状況をなくすというのも解決策の一つになる.
これに限らず,乳幼児連れが混雑した場所に“いかなければならない”理由にどのようなものがあるかは,正直よくわかっていない.
それでももし,そうした理由が社会によって生み出されているものなのであれば,それを改善するというのが解決策の一つになりうる.

少子化の先に

「ベビーカー批判」への反論に,「言うても君が将来子連れになる可能性もあるんやで.未来の自分の首を締めることにもなりうるんやで.」というものがある.

どこかのCMが「可能性はゼロではない」と言っていた.
「ベビーカー批判」が「未来の自分批判」になる可能性もまた,ゼロではない.
その意味でこの反論は一理あるのだが,問題はその「可能性」がじわりじわりとゼロに近づいていることである.
未婚率が高まり,結婚しても子供がいないという家族形態も多く見られるようになって,「未来の自分批判」にあたる可能性が下がっている中,「自分は関係ない」と考える人が増えるのは自然だし,現に関係ない人が増えている.

子を社会全体の資産を捉え,だからこそ“寛容さ”が必要だとする論理もある.
例えば年金.電車の中で大騒ぎしてうるさい子供も,将来私達の年金を支えてくれるかもしれない!

……残念ながら,これも論理としては通るのだが,それが実現するのは社会全体で子供が増えていく風潮にある場合のみである.

自分が乗る混雑した列車にベビーカーが乗り込んでくるのを我慢したとしても,ベビーカーに足を轢かれるのを我慢しても,それで例えばもらえる年金が増えるか.答えは否だろう.

確かに子供は社会の資産かもしれない.社会保障制度を支えてくれるかもしれない.
しかし,それは全体が増加傾向になければ実現しない.少子化が進む中で,自分が特定の子連れに対して“寛容さ”を発揮したとしても,それは“寛容し損”になる可能性が非常に高い.

「なら自分が寛容さを示す必要なんてない」,その「自分」が大いなる集団レベルで形成されることが子供の社会全体での増加への道筋を妨げることになっても,さながら少子化という檻に囚われた囚人のジレンマのように,この悪循環を進んでいくしかない.

この解決策はなかなかに難しい.
経済状況が急激に改善して,子供がほしいけど経済的な理由で諦めていた人が子供をたくさん持てるようになるとか,移民を受け入れるとか,方法はともかくとして,まず人口を上向きに持っていくことができなければ,この要因の解決はあり得ないのではないか.

“差別”を越えた議論

ここまで,「ベビーカー論争」の根底にある要因として考えられるものをつらつらと考えてきた.
これらはただ私がそうではないかと思ったという仮説レベルのものでしかない.そして,それを実証する気もない.
気力に満ち溢れた人間でもないので,現状を打破するよう活動する気もない.

ただ,「ベビーカー邪魔なんじゃ消えろ」とか「不寛容」とか,ベビーカーを受け入れるか否かという表層レベルに留まった議論が目立つのが気になって,問題の構造という観点から議論をすべきなのではないかと思ったので,こう長々と書いてみたわけである.

この問題について議論することは社会的にも有意義だと思うのだが,この手の話題で例えば「行き過ぎた権利主張があるのではないか」などと現実で言った瞬間,女性差別だの何だのと,差別主義者のレッテルを貼られて社会的に死ぬ.
権利主張が悪いと言っているのではない.所謂「不寛容」が生み出される要因の一つとなっている可能性を指摘しているだけにすぎない.それでもなお,一部の表層にしか考えが及ばない人たちが「差別だ差別だ」と騒ぐから,現実での議論が進まない.これはこの問題に限ったことではない.

この問題は社会的に重大であると思うので,今回の騒動で「バズって」終わりということではなく,今後も様々な場所で議論が進んでいくことを望むばかりである.
そして叶うならば,その議論が表層レベルに留まることなく,かつ健全に進んでいってほしい.

2017/01/05

α6000 + SIGMA 30mm F2.8 DNで撮ってみた(紅葉編)

【16/12/05】

自宅に近いものの,その近くに用事がないために存在をあまり知らなかった公園がある.
そこが結構紅葉が綺麗ということで,カメラをぶら下げて散歩に出てみた.

“いつもの道”から外れて公園へ向かう.
空を見るときれいな飛行機雲が伸びていた.

公園に到着.
まだ完全に色づいているという感じではないが,なるほどなかなかきれいな紅葉を見ることができた.





絞りはとりあえず解放で,DMFでピントを合わせてみる.
こうしてPCに取り込んで確認してみると,DMFの時にズームされない部分が意外な形でピンぼけとして現れたりするので,なかなか難しい.
DMFのピンポイントのピントはファインダーを見るほうがいいが,ディスプレイで全体のピントも別に確認した方がいいのかもしれない.

ちなみに最後の1枚は結構お気に入りです.