2017/04/04

“文系”大学院に進学します

昨年一年間,色んな人から「就活忙しいの?」などと聞かれたが,実は就活の「し」の字もない生活を送っていた.
その理由は,大学院に進学するから.

“文系”ってなんだ?

今さら隠しても仕方ないことだが,私は所謂文系学部に所属している.
理系ならまだしも,文系で大学院に進学するというのはあまり一般的とは言い難いのが実情.
数百人規模の学部で数人いる,というレベルだと思う(大学によって雰囲気は違うだろうけど,うちの大学ではそんな感じ).

その最も大きな原因は,文系大学院就活不利説で多分,間違いない.
空前の売り手市場と言われた今年,わざわざ学部新卒のカードを破り捨てて大学院への進学を決めた私に,多くの人が「なんで?」と聞いた.
その疑問の根底にあるのは結局のところ,「(就活不利になりそうなのに)なんで?」ということだったのだと思う.

そんな疑問をぶつけられる中,個人的に不思議でしかたないのが,文系って何?ということ.
昨年,そして一昨年あたりに文科省による「文系学部」軽視が報じられて大きなニュースになったが,肝心の「文系って何?」という根底がよくわからないままだった.

一連の報道では,「文系」を「人文社会系」と言い換えた表現も見られた.
この背景にあるのは,「人文」と「社会科学」を一纏めにして「文系」とする考え方なのだが,社会科学系学部の学生としてはなかなか理解しがたい.

そもそも,人文と社会科学の間には,所謂「文系」と「理系」の間にあるのと同じくらいの違いがある.
同じ「文系」とされながら,社会科学系の私達は人文の彼らがやっていることはまったくわからないし,人文の彼らもきっと私達のやることをわかっていない.

社会科学系から見て,「理系」のやることがわからないのは,専門知識がないから.
一方で,人文系を理解できないのはやりかたがわからないから.

どういうことか.
理系の論文を読んでもよくわからない単語が並んでいて,確かに理解はできない.
ただし,(主に統計的手法を用いる部分で)やろうとしていることはわかる.「これとこれに有意な差があるか調べたいんだな」,のように.
社会科学系と理系の間には,対象という観点から見れば大きな違いがある.一方で,手法やその根底にある考え方としては,意外にも共通しているところがあったりもする.

一方で,人文系は論文の「読み方」レベルでわからない.
何をやりたいのか,どのように結論を導き出したいのか.そのレベルで理解ができないので,仮に専門用語の意味を理解しても,その研究を理解することはできないと思う.

こうした経験からして,人文と社会科学を一括りにするのはナンセンスとしか思えないわけである.
結局のところ,各所で言われているように,受験科目に理科があるか無いかというところで区分しているだけで,その本質から区分しているわけでもなんでもない.
(誤解している人が結構いるようだが,私文はともかく国立の社会科学系は普通に数学を要求されるところもかなりある.)

そんなペラッペラで適当な定義で「文系は~」と叩く向きもあるが,その叩き方が「彼らの叩く文系らしい」叩き方だというのはなかなか皮肉なものだとは思う.

“役に立つ”って何だ?

院進学が「役に立つか」と言われると,個人的には役に立つが,社会にとってという意味ではそうでもないと思っている.

全員とは言わないが文理問わず大学院で学ぶということが社会にとって重大なレベルで役に立つとは思わない.
もちろん,例えばノーベル賞を取るような重大な発見があるかもしれないが,多くの一般的な学生にとってはそのようなレベルの話は程遠い.
極端な話,自分がそれをやらなくても,誰か他の人がやった/やれるのだろうな,ということのほうが多いのではないか.
だから,多くの場合大学院に進学するということで社会にとんでもない直接的な貢献ができるというわけではないと思う.

自分にとって院進学がどのような意味をもつかというと,もっと研究を続けたいという欲求を充足できるということ,そして,言うなれば論理的思考力のようなものを鍛えることができるということだと思う.

と言っても,そこで鍛えられる論理的思考力とやらが,2年間を費やす価値のあるものなのか,ということはわからない.
修士を卒業して就職するとなると,高校を卒業して就職した人と比べると6年,専門卒と比べると4年,社会に出てくるのが遅くなる.
大学と大学院で学ぶ6年が,社会に揉まれて過ごす6年や4年に太刀打ちできるかというと,あまり自信はない.

結局のところ,大学院に進学するということの意義のようなものは,自分がそうしたいからというところが大きい.
早い話,趣味のようなものである.

多くの人は,勉強というものは忌まわしくかつ唾棄すべきものとさえ思っている.
馬鹿馬鹿しいことに,大学が就職予備校と化した今,大学生でさえも勉強面倒くさいとか,卒論めんどくさいなどと思っている節がある.
そんな中,学年に1人か2人いるような「勉強が好き」なタイプがたまたま私だったと,つまりはそういうことなのだ.

多くの人にとって勉強は苦痛だから,大学院に進学すると言うと「(そんな苦痛なものをわざわざあと2年やるとか)すごい」のような反応さえ返ってくる.
しかし,私にとってはそれは苦痛ではなく快楽なわけで,反応としてはこの前会った元同級生の「勉強好きなんだね~」というのが大正解だったのだろう.

だから,役に立つかもわからないし,世界をより良くしようという高尚な目標なんて全く持ち合わせていないが,あと2年間“趣味的に”学生生活を送ることにする.

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